LED裁判

今の日本ではここまでだったと言うことだな。実際 200億という報酬を今認めると他の企業にも同様な訴訟がおこり経済にダメージを与えるということでの妥協。個人と企業の雇用関係の変化がようやくはじまった日本。今回の裁判で原告が勝てる可能性があるのは現状では米国のみか。では米国みたいな雇用関係がベストなのかというとそれも疑問。研究者と他の職種とは同一には考えられないけど。企業に利益をもたらす人のみが生き残れるよりドライな関係。個人の権利が主張できると言うことは当然企業も暴力的なまでの権利を主張してくる。日本もグローバル化の波で米国的な企業経営への盲従的な変革が始まってるが、この変革のネガティブな面を認識していかないと結局 多数の個人の幸福にはつながらない。 「個人」の権利の主張が反対に「企業」という化け物だけが生き残るような状況をつくり出す危険性をはらんでるという亊も考えておく必要があると思う。

>では米国みたいな雇用関係がベストなのかというとそれも疑問。< うん、ベストでは無いと思う。
>研究者と他の職種とは同一には考えられないけど。企業に利益をもたらす人のみが生き残れるよりドライな関係。個人の権利が主張できると言うことは当然企業も暴力的なまでの権利を主張してくる。<なる程、ま、でも、企業にしろ個人にしろ「国民は最大の国益である」という点ではアメリカの方が理解していると思う。アメリカという国は国益に繋がる偉業を成し遂げた者には寛容だと思う。「働らからず者食うべからず」という側面も多の国に比べて手厳しい。が、それは、当たり前の事であり、アメリカという国家がその点でアグレッシブなだけだと思う。
>この変革のネガティブな面を認識していかないと結局 多数の個人の幸福にはつながらない。 「個人」の権利の主張が反対に「企業」という化け物だけが生き残るような状況をつくり出す危険性をはらんでるという亊も考えておく必要があると思う。<うん、ま、日本には、昔から、「個人の自由や幸福」を重視する体質は無いと私は見ている。結局「個人の幸福=企業の幸福と利益追求」にしか見えない。故に、「権利の主張は企業を温存しかね無いのは確かだろう」。結局、日本には、極論を言えば「個人の自由・人権」は無いに等しいのである。歴史的に見れば、結局、人民が「個人の権利の獲得」を成し得なかった事に原因があるのだろう。こう見ると、日本は欧米のように、本質的での歴史的手順を踏んで来なかったが為に、本質的には、近代化は未だ達成されていないのだと感じる。
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